3、本能寺の変に関する各説
本能寺の変はその原因が謎に包まれている事で有名である。しかしその原因については、いろいろな論議がされてきて、実行犯とその動機も含めると、百を越してしまうという。だが興味本位、思いつきで立てられた説も非常に多く実際有力な説というのを絞ると十説以下になるのではなかろうか。以下には有力だといわれている説、最近唱え始められた説、また興味本位ではあるが面白い説を1〜10まで載せてみた。 |
1 | 高柳光壽氏の野望説(1962年) |
2 | 桑田忠親氏の怨恨説(1973年) |
3 | 立花京子氏の朝廷黒幕(謀議)説(1994年) |
4 | 藤田達生氏の足利義昭黒幕説(1996年) |
5 | 小和田哲男氏の信長の悪逆非道防止説(1998年) |
6 | 桐野作人氏の四国問題対立説(2001年) |
以下は一般的に史料的裏付けが薄く奇説といわれるものであるが、とりあえず読み物として記しておいた方が面白いという、監修のご意向で簡単に説明する。その事実性が薄いのはいうまでもないが、今まで挙げたの説を考える際に参考になるので、頭をやすめる程度に読んで頂きたい。 |
7、今木健之氏の秀吉黒幕説 『本能寺の首謀者は秀吉である』による。光秀が怨霊(おんりょう)神社に祀られていること、怨霊神社に祀られている者は皆無実であることを述べている。信長暗殺は秀吉配下の杉原家次がしたもので、根拠として家次が変死していることを挙げている。秀吉は毛利と連(つる)んでいて、高松城水攻めには宇喜多勢しかいなかった。秀吉本隊は本能寺の変前に戻り始めていた。 |
8、小林久三氏の家康黒幕説 主に『本能寺の変 捜査報告書』による。光秀や秀吉は山の民であった。光秀単犯説は、どれも無理があり合理性に欠け、説得力に乏しい。結局黒幕は家康だったとして、同行していた穴山梅雪が死んだのは家康が秘密を知られ、殺したからだという。さらに共犯として秀吉をあげ、小牧・長久手の戦いは八百長だとしている。その後光秀は生きていて天海と同一人物だとしている。その後、本当の黒幕は朝廷だと言って、家康と秀吉を執行者に選んだ、といっている。 |
9、堺会合衆(えごうしゅう)黒幕説 これは噂に聞いただけなので詳細はわからないが、概要だけ記す。信長は名物狩りと称して、茶器を集めていた。堺会合衆は信長の意志が博多商人に向くことをおそれたのか知らないが、信長を茶器を見せるといって本能寺に呼び出した。そして暗殺したというものである。 |
10、八切止夫(やぎりとめお)氏の光秀非実行犯説 信長を殺したのは宣教師で、大砲で吹っ飛ばしてしまったとしている。光秀が犯 人でない理由については明確にはわからなかった。 |