第1部 古代中国史

 

 中国の戦国時代は、日本の戦国時代より約二千年前に始まったと言われている。その戦国時代に終わりを告げ、中国史上初の統一国家を生み出した秦の始皇帝がいた頃、日本ではようやく弥生時代の幕開けが訪れていた。今我々が使っている漢字も、はるか昔、殷王朝の時代に中国で生まれ、日本に伝わったものである。この章では中国文明の黎明期から秦漢の統一まで春秋・戦国時代を中心として時代の流れを追っていきたいと思う。

 

〜あらすじ〜

 中国古代史は主に前二世紀、前漢の時代に司馬遷(しばせん)(詳しくはp142参照)が著わした「史記」といった書物によって後代に伝えられている。

 中国の歴史の中で最も古い時代だと認められているのは殷王朝である。それ以前にも三皇五帝と呼ばれる神話の時代や夏王朝という王朝が存在していたと言われているが、それらは遺跡が発掘されていないため一般的にはその存在は認められていない。殷王朝は30代700年間にわたって続き、中国史上最も長い王朝だと伝えられている。殷王朝は神権政治を行なっていた王朝であるが、前11世紀後半、周王朝がそれに取って代わり、世の中は封建制で治められるようになった。この王朝は前771年、異民族の攻撃を受けて一度滅亡し、その後春秋・戦国時代まで細々と続くことになる。周王朝に代わって主役となったのが地方に割拠していた諸侯達である。彼らのうち有力なものが覇者となって諸侯をまとめるようになった。この時代を春秋時代と呼び、大国である晋と楚を中心としての争いごとが絶えなかった。春秋時代末期になると諸侯達の有力な家臣達が実権を握るようになり、下克上によって有力家臣達が君主の座につくようになる。この最も顕著な例が前403年に大国・晋が魏・韓・趙の家臣によって領土を分割されて三国になった事例であり、この年をもって春秋時代と戦国時代は区切られている。戦国時代の戦いはこれまでの戦車戦に代わって歩兵戦となり、より動員人数の多い激しい戦いとなった。また各国が富国強兵策を実行し、戦国七雄と呼ばれる強国が互いにしのぎを削った。その中でも法による統治と強力な軍隊を持った秦が他の六国を圧倒し、前221年に秦の始皇帝による初の天下統一がなされたのである。始皇帝は万里の長城の建設、文字や貨幣などの統一などを行ない中央集権制によって天下を治めたが、秦は彼の死後、各地で起こった反乱を抑えられずに倒され、代わって楚の項羽と漢の劉邦が覇を争って死闘を続ける。最終的に漢が楚に辛勝し、漢帝国を樹立することになる。その漢は以後400年間続き、漢滅亡後は三国時代へと歴史は移ってゆくのである。

 

黄河文明の起こりと神話時代
中国初の王朝・殷の誕生
殷周革命
諸侯が群雄割拠した春秋時代
七つの強国が覇を争う戦国時代
秦の統一国家と楚漢の争い

 

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