1、黄河文明の起こりと神話時代

 

 世界最古の文明の一つ、黄河文明が展開されたのは、およそ紀元前五千から四千年のことであると言われている。この時代は三皇五帝と言われる神話の時代とされ、一般的には歴史とはされていない。「史記」を著わした司馬遷は、三皇を切り捨て、五帝、すなわち黄帝、帝??(せんぎょく)、帝?(ていこく)、尭(ぎょう)、舜(しゅん)の話から「史記」を書き始めている。しかしこれらの話は神話であり信憑性が低く、彼が生きていた前二世紀の時代でさえ、黄帝のことはまともな人は口にしなかったと言う。ところが彼は「春秋」や「国語」といった一級の書にも五帝の話が記されていることから、これらの話はすべて虚構であるとは限らないと判断し、信頼性の高い話は史記に載せている。神話と歴史の間に五帝を置き、司馬遷はそれに歴史の「半市民権」を与えようとしたのだと思われる。しかし、五帝の前の三皇については司馬遷もこれを歴史とは認めることができず、言及を避けている。
 三皇五帝の時代は氏族共同体のよき時代であった。首長になったからといってとくに個人的な実利はなく、みんなのために骨を折って働かなければいけないので首長は逆に割に合わないポストであった。したがって首長の地位は争奪されることがなく、みんなに推挙された人にいわば押し付ける形になっていた。しかし、徐々に分配に格差が出るようになる。たとえば、戦争捕虜を労働力として使うようになると、戦争の指揮官や首長、戦功を立てた人が分け前を多く取るようになる。首長は選ばれるものではなくなり、世襲時代に入る。こうして氏族共同体の基礎が崩壊し、夏王朝が始まる。この王朝は中国の学者はその存在を認めているが、王朝の王都や王陵らしいものがまだ発見されていないことから日本の学会においてはまだ証拠不十分として認められていない。