8、背水の陣

意味  一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。また、失敗すれば再起できない条件の下で全力を尽くして事に当たること。

類句

 burn one's boats
由来

 漢の2年、韓信(かんしん)(→前項)は張耳(ちょうじ)とともに井?(せいけい)において、趙(ちょう)王歇(あつ)・成安(せいあん)君陳余(ちんよ)率いる趙軍と戦った。自軍の数万に対し、敵軍は20万と号している。大軍といかに戦って勝つか。井?口(せいけいこう)についた韓信は全軍に指令を下す。

 まず、趙軍の背後に漢の赤い幟(のぼり)を持った兵をひそませること。敵が前線に出撃して城塞が空になる隙に突入し、趙の幟と交換させてしまうのだ。
 そして、自らは1万の軍を率い、川を背に陣を敷いた。逃げ道のない川を背にする布陣がタブーなのは戦法の常識中の常識である。趙軍はこれをあざけ笑っていたに違いない。
 いざ戦闘が始まってしばらく立つと、漢軍は次第にわざと敗走し始め、敗走兵は川べりの陣営に逃げ込んだ。趙軍はこれを好機と城塞をからにして出撃してくる。しかし、川を背にしてもはや逃げられない、と必死になって防戦する漢軍をついに打ち破れず、軍を引けば、城塞に漢の幟が立っている。取り乱した趙軍は潰走してし、韓信はわずかな兵で勝利を収めるのだ。
原典 信乃ち万人をして先行し、出でてにしてせしむ。[史記 淮陰侯列伝]

 

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