9、四面楚歌 & 抜山蓋世

意味 四面楚歌:周囲すべてが敵や反対者ばかりで、たすけがなく孤立すること。
抜山蓋世:意気込みが盛んで、勇壮な気性の形容。
由来

 漢の五年、すなわち背水の陣(→前項)の3年後、5年間に渡って繰り広げられた楚と漢との戦いにようやく終止符が打たれようとしていた。楚の項羽(こうう)は垓下(がいか)で漢の劉邦(りゅうほう)に包囲される。劉邦率いる漢軍は豊かな食料の補給路を持っていたが、項羽率いる楚軍の食料はもう底をついていた。

 その夜、項羽は敵の野営地から流れてくる歌を聴き、驚く。それは項羽の国、楚(そ)でよくうたわれる歌だった。自分の国の兵士達がほとんど漢軍に降ってしまったことを知った項羽は、夜中に起き出して酒宴を開いた。
 項羽には虞姫(ぐき)(虞美人(ぐびじん))という寵姫がおり、また騅(すい)という名の名馬がいた。心を高ぶらせた項羽は、詩を歌った。
力はき気は
時利あらず騅逝かず
騅逝かざる奈何すべき
虞や虞や若を奈何せん

 私の力は山を引き抜くほど強く、気力は天下を覆うほどで盛んであった。しかし、時勢は不利となり、愛馬の騅(すい)も進もうとしない。いったいどうしたらよいのだろう。虞(ぐ)よ、虞よ、そなたをどうしたらよかろうか。

 この詩から「抜山蓋世」という成語が生まれた。
 項羽(こうう)はこの歌を何度も繰り返し歌い、虞姫(ぐき)も声を合わせて歌った。項羽の目からは涙が落ち、左右の臣下もみな泣き、うつむいているばかりだったという。
 その夜、項羽は精鋭わずか8百騎を従えて劉邦(りゅうほう)の何重もの包囲網を突破した。しかし、翌日数千騎の漢軍に追いつかれ、獅子奮迅の活躍を見せた後、烏江(うこう)のほとりで自ら命を絶った。虞姫も自殺したと伝えられる。その墓に生えた草を、世の人は「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。
 『史記』屈指の名場面はこうして幕を下ろす。
 ちなみに、項羽は垓下(がいか)で包囲されるまで一度も敗北を喫したことはなかった。
原典 夜漢軍の四面楚歌するを聞く。項王乃ち大いに驚きて曰く、「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人之多きや」と。[史記 項羽本紀]

 

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