3、刎頸の交わり

意味  きわめて親しく、堅い交わりのこと。

類句

 金蘭の契り;断金の交わり;膠漆の交わり;金石の交わり;管鮑の交わり(→p.109);水魚の交わり(→p.134)
由来

 友と友の友情を表す言葉は上記の通り、中国には沢山あるが、「刎頸の交わり」は中国戦国時代、廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)の故事から出た言葉である。

 趙(ちょう)の藺相如は、「完璧」(→前項)の働きの後、恵文王(けいぶんおう)に上卿※28に抜擢される。強国・秦に屈さない堂々とした外交交渉をその後も続けた功が認められたからだ。ところが、これを快く思っていなかった人物がいる。趙(ちょう)の歴戦の勇将・廉頗(れんぱ)だ。廉頗からすれば戦場で命を賭して功を上げた自分に比べ、藺相如(りんしょうじょ)は口先だけの働きで自分より上の位にいる。しかも藺相如が卑賤の出であることが一層廉頗の不満をかき立てた。廉頗も藺相如と同じ上卿で国政に重きを為していたが、藺相如の方が「右」であり、上位である。廉頗はいつも人に会うごとに「相如はただではおかせない」と公言していたという。
 これを聞いた藺相如は、廉頗と顔を合わせないように心がけ、仮病を使い朝廷に出席せず、争いが起きないようにしていた。ある時など、藺相如は外出して廉頗を見かけると、あわてて車を引き返し、隠れてまで廉頗を避けたという。あきれた家臣が暇を願い出ると、藺相如はこういった

 「秦王と廉頗を比べれば、秦王の方が手強いのは言うまでもない。その秦王に対して恐れることなく言を呈したことのある私が、廉頗などを恐れるわけがないであろう。趙が安泰でいられるのは私と廉頗将軍がいるからである。それなのに、今その二人が争いを起こしたら、どちらかが倒れ、趙は危うい。私は個人の仇よりも国家の安危を第一に考えているのだ。」

 これを伝え聞いた廉頗は、大いに恥じて、肌脱ぎになり、いばらの鞭を背負って藺相如の家に行き、「あなたの寛大な心がこれほどまでとは知らなかった。自分こそ下賤な者であった。」と謝罪した。そして以後とうとう二人は仲直りし、「刎頸(ふんけい)の交わり」つまり、生死をともにし、危急の時には互いのために首を切られても(=刎頸)後悔しない友情関係を結んだのであった。
豆知識  現在の中国でも「刎頸之交」として日本と同じ意味で使われている。
原典 〔廉頗〕曰く、「鄙賤之人、将軍寛なること之此に至るを知らざるなり」と。卒に相与に驩びて、刎頸之交わりを為す。[史記 廉頗藺相如列伝]

 

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