故事成語9

鶏鳴狗盗

 

【意味】
くだらない技能の持ち主。くだらない技能でも役に立つことがあるたとえ。
【由来】
 これは少し時代が下り、中国の戦国時代の話である。孟嘗君(もうしょうくん)(君は小領主を表す)という、食客(しょっかく)数千人で有名な人物がいた。食客とは居候のようなもので、特に何をするわけでもないが貴人などのもとで身を落ち着かせる人たちのことだ。孟嘗君の人柄は中華中の人々の心を引きつけ、絶大な信頼を得ていたので、それだけ食客にしてもらおうとする人は多かった。孟嘗君はそれらの食客を快く受け入れ、数千人を自費で養ったといわれる。

 食客は個性が豊かである。思想家がいるとおもえば、人形作りの名人や、盗みがうまい者までいたのには驚かざるを得ない。ますます名声が高まった孟嘗君は出身国の斉(せい)を含め、他にも秦(しん)と魏(ぎ)で宰相(秦では丞相(じょうしょう)という)の位をつとめている。そのうち、秦の丞相に招待されたときがこの故事の源に当たる。

 孟嘗君はそのとき斉で宰相を辞めていたが、斉のビン公という暗君を嫌い、招待に応じ秦にいき、丞相となった。ちなみに、このビン公は、この後燕(えん)という国の楽毅(がっき)(劉邦(りゅうほう)や諸葛公明に尊敬されたので有名)という名将軍に70余城を落とされ、斉は滅亡寸前になる。

 孟嘗君が秦の宰相になったと知った趙(ちょう)という、秦に敵対していた国の武霊王(ぶれいおう)は、孟嘗君の声望をねたみ、暗殺することを考えた。そこで武霊王はまだ幼い秦の昭襄王という君主に働きかけ、孟嘗君を殺すよう説得してしまった。まもなく孟嘗君は丞相の位を罷免された。

 自分が殺されようとしていることを知った孟嘗君は何とか秦から脱出しようとするが、宰相を罷免されてしまったので国境の関所を通るための符(ふ)(切符のこと)を持っていない。そこで、符を手に入れるため何とか宰相に復位することを考えた。そこで、狗のように盗みのうまい食客の一人に、王宮の府庫にある狐白裘(こはくきゅう)(狐の腋(わき)にはえている微量のとても柔らかい毛を数千匹分集めてつくられたもので、世に二つとないほど貴重なものだった)を盗ませることにした。

 食客の狗盗の働きで狐白裘を手に入れた孟嘗君はそれを昭襄王の姫の一人に献じ、丞相に復位できるよう昭襄王に説いてもらうことを頼んだ。姫は狐白裘を見て非常に喜び、昭襄王にそのことを説き、孟嘗君を丞相に復帰させた。

 符を得た孟嘗君はすぐさま逃走を開始し、夜中には国境にある関所函谷関(かんこくかん)についた。しかし、関所は朝にならないと開かない。追っ手は迫ってくる。そんなとき、またもや孟嘗君の食客が役に立った。関所は鶏の鳴き声を基準に開門をする。鶏が鳴けば、関所は開くのだ。そこで、物まねのうまい食客が鶏の鳴き声のまねをした。すると、それにつられて関所の鶏がいっせいに鳴き始めた。秦という国は、法律が非常に厳しく、決められたものは厳守しないとすぐ罰せられる。後に秦は始皇帝を生み中華を統一するが、法律の厳しさが度を過ぎ、反乱を引き起こし、滅亡してしまった。この場合も、「鶏鳴とともに開門」という規則があったので、役人は門を開かざるをえず、孟嘗君は国外に脱出することができたのである。

 「鶏鳴狗盗」とは、孟嘗君を助けた食客たちの働きを示していたのである。人を愛し、人に愛され続けた孟嘗君は、この後、魏の宰相となってその生涯を終える。

【豆知識】
日本でも清少納言の

「夜を籠めて鶏(とり)のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ」

で有名。

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