故事成語7・8

臥薪嘗胆 & 会稽の恥

 

【意味】
臥薪嘗胆:目的を遂げるため、つらい困難にあって苦しい思いをすること。

会稽の恥:以前に人から受けたひどい恥辱や恨み。

【由来】
 斉(せい)よりずっと南、楚(そ)よりもさらに南の呉(ご)という国で、闔閭(こうりょ)という英主が生まれたのは春秋時代中期のことである。闔閭は呉という国を強大なものにした寿宝(じゅほう)という名君の孫に当たる人である。

 この闔閭は孫武という天才戦略家を将軍に任命し、隣国の楚を滅亡寸前まで追い込んだ。しかしその最中に、呉のさらに南の越(えつ)(ベトナム)という国が、呉を攻めてきた。楚攻めから引き返してきた闔閭は、越王句践(こうせん)率いる越軍と戦って破れ、そのとき負った傷で死んでしまった。

 闔閭の子の夫差(ふさ)は、句践を大いに憎み、喪に服す間(25ヶ月間)報復を忘れぬよう、薪(たきぎ)の上で寝たと言われているのでこのことを「臥薪(がしん)」という。

 その後夫差は越軍を大破し、破れた句践は会稽山(かいけいざん)に閉じこめられた。このとき句践が受けたような恥辱を「会稽の恥」というようになったのである。

 また、首都に帰ることを許された句践は会稽の恥を忘れぬよう、常に苦い胆(きも)を嘗めたということから、このことを「嘗胆(しょうたん)」という。よって、将来に期待して艱難辛苦することをあわせて「臥薪嘗胆」というのである。その後句践は機会を待って呉を攻め、とうとう滅亡させてしまった。

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