9、「源氏物語」の作者 紫式部について

 

ユネスコにおける1965年度の世界の偉人顕彰に、最初の日本人として平安中期の物語作者たる紫式部の名が選定されたことは、知られています。すなわち、それは「源氏物語」の作者として、まさに不朽の名を世界にとどめたものといえます。さらにいえば、それは単に日本文学史上、有数の古典ということだけにとどまらず、世界文学史における「源氏物語」ということにつながると見てよいでしょう。それほど著名な作品を執筆した紫式部ではありますが、平安時代の他の女流文学者がそうであるように、彼女もまた、その生涯をあとづけ,その生没を確認する資料に乏しいです。幸いなことに、「紫式部日記」や、家集「紫式部集」が残っていて、隣接資料も、いくつかは残存はしているものの、結局は伝記研究に諸説を生じているというのが実情であるようです。
紫式部の幼い頃のエピソードとしてこのようなものが伝えられています。紫式部は藤原為時の娘として出生、幼くして聡明、漢字の素養が深かったそうです。「紫式部日記」によれば、式部の弟である惟規が少年時代、父の指導で漢籍を学んでいる時、傍らにいた紫式部のほうがはるかに早く読解してしまったことを記し、父為時が、この子が男子でなかったのが残念だと嘆いたといいます。
紫式部の本名についてですが、角田文衛氏が「御堂関白記」を資料に、紫式部の本名は、藤原香子(たかこ)かと提言して、学会の注目を浴びましたが、その後、その資料の読み取り方に対して、2,3の研究者から批判が出されて現在に至っています。これは、なお、慎重に取り扱うべきであると誰もが言っています。

 

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