10、「源氏物語」について

 

日本文学史上、有数の古典と目されている「源氏物語」54巻は、その内容から考えて普通、次の3部から構成されていると見られています。
第1部は、「桐壺」・「帚木」・「空蝉」・「夕顔」・「若紫」・「末摘花」・「紅葉賀」・「花宴」・「葵」・「賢木」・「花散里」・「須磨」・「明石」・「澪標」・「蓬生」・「関屋」・「絵合」・「松風」・「薄雲」・「朝顔」・「乙女」・「玉鬘」・「初音」・「胡蝶」・「蛍」・「常夏」・「篝火」・「野分」・「行幸」・「藤袴」・「真木柱」・「梅枝」・「藤裏葉」の33巻です。
第2部は、「若菜上」・「若菜下」・「柏木」・「横笛」・「鈴虫」・「夕霧」・「御法」・「幻」の8巻をいいます。
第3部は、「匂宮」・「紅梅」・「竹河」・「橋姫」・「椎本」・「総角」・「早蕨」・「宿木」・「東屋」・「浮船」・「蜻蛉」・「手習」・「夢浮橋」の13巻です。

 

第一部の内容
この物語の第1部は、光源氏の多様な愛の遍歴を描き、彼の栄華が到達するまでのプロセスを描きます。それは、ちょうど主人公の青壮年期にも該当していて、つまり、桐壺帝と桐壺更衣との間に生まれた光源氏が、若くして亡くなった母更衣の面影を求めて、母に生き写しだといわれた藤壺女御を一途に慕うようになります。しかし藤壷は、亡き母に代わって帝に愛された女性であるので、光源氏の義母に当たります。その人との道ならぬ恋を扱い、自分の義母とついに契るに至りますが、それだけにこの愛は苦しく満たされません。ここに、光源氏の女性遍歴が始まり、正妻葵の上、亡き前東宮の妃であった六条御息所との交渉をはじめとして、空蝉・夕顔・花散里・明石の上(登場人物名)などとの交渉が描かれます。中でも、藤壺の姪に当たる紫上という女性を得て、終生の伴侶としています。その間、一時は光源氏が引退し、流離の日々をすごすという政治的事件が語られて、彼のつらい生活が叙述されます。しかし、やがて京に復帰して出世をします。とりわけ、「乙女」の巻で、太政大臣となった光源氏が落成した六条院の新邸に、紫上、花散里,秋好中宮、明石の上という4人の女性を住まわせる栄耀栄華が語られます。秋好中宮は、六条御息所の娘です。続いて、「玉鬘」巻以下、「藤裏葉」巻までの12巻は、夕顔の遺児である玉髪のことが扱われ、鬘黒の大将と結ばれること、光源氏の子息の夕霧が雲井雁との恋を成就すること、明石の姫君が東宮のもとに入内すること、光源氏が准太政天皇となって栄華を極めること、などを描いています。つまりいうと、ここでひとまず大団円を迎えたと読めるようです。

 

第二部の内容
朱雀院の第三皇女である女三の宮が光源氏の正妻として降嫁してくることによって生ずる紫の上の苦悩と絶望、さらには女三の宮の過失によって柏木との間に罪の子薫が生まれて、光源氏を畏れた柏木が死に、女三の宮も出家するに至ります。柏木の未亡人となった女二の宮と夕霧との接近、紫の上の死、光源氏の深い苦悩による出家の決意を描いて、第二部は終わります。その世界は、暗く重苦しいものであって、第一部とは際立って対照的です。当事者も、周囲の者も、ともに苦しみ、傷つきあいながら物語が進行していくといった印象が強いようです。この第二部の末尾までを前編、それ以後を後編と考える説もあるようですが、それは、主人公の生涯という角度での把握です。つまり、これまでは光源氏、これ以後は薫が、それぞれ主人公となって物語が進行していくからです。

 

第三部の内容
「匂宮」・「紅梅」・「竹河」の3巻は、光源氏没後の周囲の人々の有様を描いて、次の「宇治十帖」への導入部となっています。とりわけ、光源氏の娘明石中宮御腹の匂宮と、源氏の養子薫の生い立ちとを述べ、「宇治十帖」へとつないでいます。「橋姫」巻以下の10巻がいわゆる「宇治十帖」であって、宇治を舞台に物語は展開していくのです。光源氏の異母弟で、今は宇治に隠棲している八宮の姫君に、大い君・中の君という二人がいて、さらにその二人の異母妹に浮舟という女性がいます。これらの女性と、匂宮、薫との愛の葛藤を描いて、暗くさびしく物語は進行するのです。匂宮と薫との板ばさみとなって、宇治川に投身しようとした浮舟は、横川僧都に救われて小野の里に尼となって暮らしますが、薫からの手紙には応じないというところで、第3部は終わっています。つまり、薫の愛をこばみつづけながら死んでいった大い君、その大い君の願いもむなしく匂宮と結ばれてしまった中の君、大い君亡き後、中の君への思いに苦しむ薫、その薫の前に現われた大い君の形代、すなわち身代わりとしての浮舟という、登場人物たちの抜きさしならぬ関係が生きることの悲しさを伴って深く語られているのです。

 

この物語は75年にも及ぶ長大な物語で、登場人物の総数は430余人です。この作品の特色は、作中人物の心理を的確に描き、愛と苦悩を描き尽くした点です。引き歌の技法も抜群で、散文としての達成を見せているといえます。この物語の成立の事情については、なお検討すべき問題が残っていると見られています。

 

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