5、日記・物語作者 菅原孝標女について
菅原孝標女は平安時代の日記・物語作者です。父である孝標は、菅原道真五世の孫であり、菅原家は代々学問をもって仕えた家柄なのです。また,作者の伯母は,「蜻蛉日記」の作者,道綱母です。右大将道綱母として、その句が百人一首に読まれていて,なお、「榻鴫暁筆」によれば、光明皇后、麗景殿女御、道綱母の3人が、本朝の3美人であると述べています。 |
33歳ごろ、橘俊通の後妻になった後、菅原孝標女は物語世界と現実生活との大きな隔たりに気づきます。かつてあこがれた物語世界の夢が、次々に冷たい現実によって破られていくのです。その結果、菅原孝標女は次第に現実的な考えを抱くようになり、子供の養育や夫の栄達を願うようになります。その願いのために、いろいろな所へ参詣しますが、菅原孝標女の代表作「更級日記」の結婚後の記事が、こうした物詣の記事でほとんど埋められているのは、そのためなのでしょう。「更級日記」を読むと、作者の少女時代における物語への憧憬という精神が、特徴として把握できます。 |
「夜の寝覚」という作品は、作者を菅原孝標女と伝えていますが、厳密には、作者未詳というべきであるようです。「夜の寝覚」の作者が孝標女である可能性は比較的低いと考えられています。それは、「夜の寝覚」にみられる心理追求の執拗さと苦悩とが、「更級日記」、同じく菅原孝標女の作品である「浜松中納言物語」に比べて格段に傑出しているという理由によるものです。しかし、これも確説ではありません。 |