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10、結語

 

 ここで言っておきたいのだが、武田方が鉄砲を軽視していたというのはウソである。武田家が早くから鉄砲に目をつけていたことは鈴木眞哉氏や名和弓雄氏が証明済みである。『甲陽軍鑑』にも武田に鉄砲隊があったという記述がある。だから別に武田方は鉄砲隊がなく、遅れていたということはない。定説などは武田軍がおおいに奮闘したことを逆手にとって、これは旧勢力である騎馬軍団の限界だとか言っているがこれは一笑に付すべきである。

 また、鉄砲三段撃ちは虚構だが、鉄砲が活躍したことは事実である。しかし、鉄砲を効果的に使ったことはそれは陣城や信長がうまく勝頼と攻撃させたこと、(勝頼は勝算があって攻撃をはじめただろうが)などと同じく戦術上のある一つのことに過ぎず、本来は今挙げた二つなども注目されるべきである。

 こんな感じで書いてきたが、定説批判ばかりしてきたと思う。しかしそれはちゃんと根拠あってのことである。だから空想ではない。
 さてこの研究に出会ったのは約2年ぐらい前だろうか。「信長の野望」おなじみの「鉄砲三段撃ち」と「武田騎馬隊」を崇拝していた僕は、この定説批判をみてなにか足下がすべてくずれていくような気がした。なのであまりに頭にきて、少し調べてみたらどうも「三段撃ち」も「武田騎馬隊」もないようである。さらにいろいろな文献をあたってみても、そのようである。ということで不肖私だけではなく自分の戦国常識が崩された人がいるのではないだろうか。そんな人は文中で表示した参考文献を手にとってみるとよい。

 ところで僕は「長篠の合戦」は勝頼の親父の信玄が村上氏に負けて重臣を失った、「上田原」の戦いを思い出さずにはいられない。この戦いで信玄はたちなおったといわれている。だが、勝頼はそうはいかなかった。(この時代、前代の重臣がそのまま次代に重用することなどまれである。だから勝頼側近と重臣とに軋轢が生まれるのはいつの世でも当然である。)無論勝頼は努力したであろう。だが相手がそれを許さなかった。この戦いはこれからも吟味する余地がある。読者諸氏の中で深い興味を持った人がいたら、探求してみてほしい。

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