故事成語2

宋襄の仁

 

【意味】
無益の情け、不必要な思いやりをすることのたとえ。
【由来】
 舞台は同じく中国の春秋時代。宋(そう)という国の君主襄公(じょうこう)が鄭(てい)を攻めようとした時のことである。鄭は小国であったため同盟国である南方の大国楚(そ)に援軍を求めた。

 そしてその宋軍、楚軍が泓水(おうすい)という川を挟んで対峙した。楚軍は宋軍を大幅に上回る圧倒的な兵力を誇っていた。その楚軍が渡河を始めたので左師(職名)の目夷(もくい)が、楚軍が渡河している間に攻めれば勝てるかもしれないと進言したが、襄公は聞き入れなかった。

 さらに楚軍が渡河し終えて陣形を整えていた時も、今攻め込むべきと進言したがそれも退け、楚軍の陣形が整った時初めて突撃の合図を出したが惨敗した。

 後に宋の国民は皆襄公を責めたが、襄公は、人の難儀につけ込んで責めるようなことをしないのが古来の戦法で、自分も戦闘準備ができていない敵を攻撃することはしないと言った。

 そのことから襄公の敵軍への思いやりのことを「宋襄の仁」というようになった。

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