1、最初に

 

この項目では、平安時代の文学についてその特徴と全体的に見られる傾向について取り上げます。
平安という時代は、遣唐使の停廃により、大陸文化が衰えてきた時代です。そしてそれとともに、日本的な文化の芽生えが現れはじめ、それは自らの力によって日本の風土や人情にあった日本的文化を創造する機運を迎える契機となりました。大陸からの唐風文化が衰退し、日本独自の国風文化が発展したのをよく示しているのは文学における漢文学の衰えと国文学の発達です。
この時代には「かな」が発明されました。「かな」は漢文と違って国語の持つ感覚を自由に表現することができ、「万葉集」で使われている「万葉仮名」(漢字の音をかりて日本の言葉を表現したもの。)に比べてはるかに簡単でした。そのため、「かな」によってはじめて日本人の感情を自由に表現できる文学として、和歌・物語・日記・随筆などの国文学が発展したのです。そして、特に女性の進出がめざましく、女流文化の最盛期でした。それは、「かな」の発明によって漢文を学ばない女性でも、かな文学によって言葉を容易に表現できるようになったことや、また藤原氏が外戚政策を強く推し進め、宮中に入った女性が文学を愛好し、侍女に才媛を多く集めたことが関係しているのでしょう。初期の物語文学は、主として男性の手によるものでしたが、このような物語の伝統を受け継いで発展させたのは女性たちです。
平安時代に書かれた作品としては、紫式部が残した「源氏物語」や、清少納言の書いた随筆文「枕草子」が有名で、知っている人も多いでしょう。今も様々な機会に読まれている作品が数多く残されている平安時代、その文学作品の中で、ここでは物語について検証したいと思います。

 

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