4、埋伏の毒、苦肉の策、連環の計

 

和解した孔明と周瑜は、二人で魏の船団を破る方法を相談した結果、「火計以外にない」という結論に至る。しかし、魏の水軍は守りを固めており、とても火計を用いれそうになかったため周瑜は連日悩んでいた。そんな中、ひょんなところから周瑜に絶好のチャンスが訪れようとしていた。

 

ある日呉軍に、蔡和(さいわ)と蔡中(さいちゅう)名乗る二人の武将が投降してきた。二人とも、以前に周瑜の離間作で殺された蔡瑁(さいぼう)の甥である。この二人は、曹操が呉軍を探るために「埋伏の毒」として送り込んだのだが、孔明、周瑜共にはじめから気づいていた。そのため、わざと騙されたふりをして偽情報を流させ魏軍を錯乱する、という新しい選択肢が増え、呉軍が非常に動きやすくなった。曹操の策は裏目に出たのである。そして、ここから遠大な苦肉の策が始まる。
ある日周瑜は呉の武将を集め、開戦に備えた説明を始めた。すると、孫堅(そんけん)の旗揚げ時代から使えている老将黄蓋(こうがい)が、「わしらに相談せずに勝手に決めるとは何事だ」と怒り、周瑜と喧嘩を始める。そして周瑜は、黄蓋を百叩きの刑に処してしまう。百叩きの刑の後、痛みをこらえて自陣に戻った黄蓋は、?沢(かんたく)(呉の武将)を自陣に呼び、曹操への寝返りの使者として魏の陣に行ってもらう。?沢は曹操から寝返りの了承を得て、再び呉の陣に戻ると、今度は甘寧(かんねい)、蔡和、蔡中の三人とともに、魏の陣へ逃げ出す作戦を相談し始めた。実はこれらはすべて甘寧、?沢らの巧妙な演技で、蔡和、蔡中に偽情報を流させるためのものだった。蔡和、蔡中がそれに全く気づかなかったために、周瑜の苦肉の策は成功といえるものになっていった。
そしていよいよ仕上げの連環の計である。
前から呉に食客のようなかたちで招かれ、周瑜とも面識があった?統(ほうとう)がこの策を進言し、実行するために動き出した。
まず?統は、曹操の陣を訪れた。人材を愛する曹操は、またとない機会だ、と大喜びし、?統に自軍の布陣を見てもらう。それを見た?統はわざとすべてべた褒めする。そしてすべての陣を見終わった後、船になれていない北国の兵士が思いっきり戦うにはすべての船を鎖でつなげばいい、と曹操(そうそう)に吹き込んで帰っていく。帰り際に徐庶(じょしょ)にネタバレするが、元劉備(りゅうび)の参謀だった徐庶は曹操にそれをわざと教えず、都の守備をしたいといって曹操が負ける前に都に帰ってしまう。そして、曹操はすべての船を鎖でつないだ。

 

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