3、周瑜の殺意

 

周瑜は、孔明の言うとおりに開戦を決意したものの、内心その慧眼を恐れていた。そして、離間策によって蔡瑁(さいぼう)を謀殺したとき、それがはじめからすべて孔明に読まれていたことを知った周瑜は「孔明を生かしておくと後々呉の禍になる」という確信を持ち、孔明暗殺を企てる。
ある日、周瑜は孔明を陣に呼び、魏軍(ぎぐん)の食料が保管されている聚鉄山を1000騎で攻めてくれ、と要請する。無論これは周瑜の謀略で、曹操の手によって孔明を殺させようというものだった。しかし孔明は、この提案を笑って受け入れ、悠々と準備を始めようとする。これを心配した魯粛が孔明を訪ねると、孔明は「周瑜殿は水上戦しか出来ないようですな。聚鉄山を1000騎で攻めろ、など陸戦を知らないものが言うこと。これで私が死にでもしたら、周提督は天下の笑いものであろうな。」といって笑っている有様。これを聞いた周瑜は「だったら俺が行ってやる。」と激怒するが、魯粛が必死になだめて何とか思いとどまらせた。
こうしてひとつめの暗殺計画は失敗する。

 

またある日の軍議のときである。周瑜は、矢を10万本、10日以内に作ってくれ、と孔明に要請する。もちろんこれも周瑜の謀略で、矢作りが始まったらそれを妨害して期日までに作らせないようにし、軍法に照らして死刑にしてやろう、というものだった。しかしそれを見抜き、確信的な勝算のあった孔明は、あえて期日を三日にした上で引き受ける。そして翌日、孔明は魯粛に、船20艘ほどと兵五百人をお借りしたいと頼み、魯粛はこれを承諾する。
そして三日目の夜である。魯粛(ろしゅく)が孔明(こうめい)の陣に行ってみると、例の船にはたくさんのワラ人形が積まれ、青い布が船を覆っている。不思議に思った魯粛が孔明に尋ねると、孔明は、「今から曹操(そうそう)の陣に矢を作りに行くので、魯粛殿もご一緒にどうぞ。」と言い、魯粛を連れて船団を出発させる。船団が曹操の陣に近づくと、魏軍(ぎぐん)は呉(ご)の夜襲だと勘違いして次々と船に矢を射ていく。そして頃合を見計らって引き上げ、ワラ人形に刺さったまだ使える矢を十万本そっくり周瑜(しゅうゆ)に渡し、孔明はまたも難を逃れる。そしてこの件以来、周瑜は孔明を尊敬するようになる。

 

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