「正史三国志」と「三国志演義」

文責:楽毅(高1、会長)

 

前項でも一寸触れたが、「三国志」という言葉は書物を指すこともある。むしろこちらが本義で、それが派生して時代概念になっていったというのが正しい。では、書物としての「三国志」とは、何であるか。実はこれがやっかいなので、詳しく触れておくことにする。

 

@史書『正史 三国志』
普通『三国志』、つまり書名「三国志」が指すのは、史書『正史 三国志』(陳寿著)だ。「正史」とは歴史上の出来事を記した正式な書物のことである。かの有名な、司馬遷著『史記』も「正史」の類に入るといえば分かるであろうか。本来は『三国志』だけで正史の三国志を指したのだが、Aとの混同をする人が多いのであえて「正史」をつけておく。ここがやっかいなところだ。

「正史」は基本的に、ある王朝の歴史を次の王朝の人間が叙述した。これは前の王朝の歴史を記すことでその正統性を示し、その後を継いだ今の王朝が正統であることを証明しようとしたのだ。「正史」の持つ性質の一つである。ちなみに、この『正史 三国志』も魏の後を継いだ晋の時代に成立している。

さて、『正史 三国志』には中国の三国時代の様子が記してある。中国の三国時代とは、今から約1800年前の中国で後漢王朝が滅亡し、魏・呉・蜀の3国が鼎立した時代を指す。厳密には、魏が建国された220年から、魏を乗っ取った晋によって全国が統一される280年までを指す。

しかし、『正史 三国志』に描かれている時代は、後漢末からはじまり、三国が鼎立し、晋によって全国が統一されるまでの期間である。年号にするとおよそ190年頃からということになる。そして三国志の名場面の多くは、三国鼎立より前に存在する。

さて、『正史 三国志』では、他の正史と比べて特殊な部分がある。一般に、『正史』では司馬遷が表した『史記』に源流を持つ、「紀伝体」と呼ばれる記述方法を採用している。その「紀伝体」の構成は以下の通りだ。

本紀…王朝を中心とした歴史を記した部分
世家…諸侯など世襲する家柄についての記述
列伝…名を知られる英雄から市井の庶民までの伝記や異民族の歴史
書 …制度史
 …年表

『正史 三国志』もこの紀伝体を採用している(書と表はない)のだが、ちょっと他の正史と異なる点がある。それは『正史 三国志』が『魏書』『呉書』『蜀書』と三分して記述されていることである。
ここで注目すべきは、「本紀」が魏に置かれていることである。つまり、魏が正統であることを表しているのだ。例えば曹操は「武帝紀」曹丕は「文帝紀」であるが、劉備は「先主伝」孫権は「呉主伝」と、「列伝」として扱っている。「正史」のもつ性質について前述したが、ここでも魏の正統性を証明することで、魏に位を禅譲された当時の晋王朝の正統性を主張しているのである。

ただ、魏王朝を正統とする側からみれば、蜀や呉は王朝に叛乱した勢力にすぎないはずで、『呉書』『蜀書』として『魏書』とほぼ対等な形で取り扱われるのはおかしい。これはなぜであろうか。

答えは『正史 三国志』の作者、陳寿にある。彼は晋に仕えていたが、もともとは蜀の出身であったため、祖国の歴史を独立して書き上げたいという思いがあったに違いない。しかし、よくこれが認められたものである。

陳寿の『三国志』は名文として非常に名高いが、文が簡潔すぎて、エピソードも少なく、悪く言うと素っ気ない感じがある。そこで、これを惜しんだ宋の文帝は裴松之という人物に命じて陳寿が採用しなかった逸話などを集め注を付けるよう命じた。これがいわゆる裴松之注である。
さて、本来「三国志」といえばこの『正史 三国志』を指していたが、そこから様々な意味が派生していったと見ればよいであろう。
*今後この意味で利用する際は『正史』と省略して記述する。

 

A小説『三国志演義』
これがやっかいだ。『三国志』と聞き、『正史 三国志』と『三国志演義』を混同している人は多い。
『三国志演義』は明の時代の初めに羅貫中によって書かれた「小説」である。史書ではない。@に基づいて話が構成されており、それに「正史」には見られない記述を加味して作られ、史実7割、脚色3割などといわれる。

この小説が大変面白く、大衆に受け入れられたため、『三国志』という言葉の意味が曖昧になった。『三国志』で演義の方を指すようにもなったのだ。

*今後この意味で利用する際は『演義』と省略して記述する。

 

B小説『三国志』
歴史小説家、吉川英治氏の著作の中に、『三国志』(全8巻)がある。もう既に30刷をこえる不朽の名作で、現代の日本人が三国志にはまるきっかけとなった本ともいえよう。『三国志演義』をもとに書かれている。
また、最近は北方謙三著の『三国志』も売り出されているし、宮城谷昌光氏も文藝春秋に『三国志』を連載している。歴史小説の名前としても使われているのである。また、これを題とするゲームも随分はやっているようだ。
*今後この意味で利用する際はいちいちことわる。

 

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