8、光秀の政権構想

 

目的 茫然自失 自ら天下を取る 足利義昭擁立
主張者(主張) 徳富蘇峰
  (近世日本国民史)
高柳光壽
   (野望説)
藤田達生
  (義昭黒幕説)

 

 光秀の政権構想についてはいろいろといわれている。その中で徳富蘇峰氏が唱えたのが、光秀は謀反をおこしたあとで茫然自失(ぼうぜんじしつ)となりなにもしなかったという説である。これは何を根拠にしているのだかよくわからない。

 高柳光壽氏は野望説を唱え、「明智幕府を開く」などとはいっていないが、単独で天下をとる、とことをいっている。特に足利義昭、朝廷については記述がない。

 藤田氏は義昭の活発な行動、Eであげた森家文書などから義昭の入洛を実現させ、擁立するとしている。(Dで否定した『別本川角太閤記』の手紙を信用しているが、この手紙は偽文書である。)

 小和田哲男氏は、自ら明智幕府を開く説と義昭擁立の二つの可能性を示唆しているが結論は下していない。しかしこのように断言できないことを結論にせざるを得ない。なぜなら、光秀が構想を示すのにあまりに時間が短すぎたからである。11日では枠組みがはっきりわからない。両方あり得るべき事ではないかと思っている。

 ただはっきりいえるのは、「茫然自失」ではないことは確かである。光秀は本能寺の変後にちゃんと美濃・近江は平定しようとしているし朝廷に工作もしている。どう見てもなにもしなかった、とはいえないのである。