5、愛宕百韻

 

 時(とき)は今 天(あめ)が下(した)しる 五月哉(さつきかな)

 これは光秀が5月28日に詠んだ愛宕百韻の発句である。6月2日が本能寺の襲撃だから、この発句が光秀の心情を吐露したものだと言われている。研究の中では重要な位置にあるらしくこの解釈にはいろいろ説がある。

 この発句を一般的に解釈すると、「時」は「土岐」のことで光秀を指す。(光秀の祖先は土岐氏だとここではされている)その「土岐」が天下を知行する意志を表したものである。(五月は詠んだその時の月)

 これに対し桑田氏は「天が下しる」は最初から「下なる」であって何人かが光秀の逆心の伏在を示すために書き改めたのではないかと主張している。光秀は動揺していても連歌師の前で大計画が見破られるようなへまはしない、万一漏れたら秘密防止の工作が全て水泡に帰してしまうのである。さらに「土岐」にこじつけるのは後世のこじつけだと論じている。

 

桑田忠親 津田勇※8・小和田哲男 高柳光壽
謀反がばれるような事はしない。「下しる」は「下なる」に変えられた 打倒平氏(信長)・源氏台頭(光秀)古典をベースにしていて、朝敵を討つという意味。 迷いがあったがこの歌には光秀の決意がある

 

 しかし津田勇氏は愛宕百韻全体に注目し、句の多くが『平家物語』『太平記』『増鏡』『源氏物語』などの古典を下敷きにしていることを指摘した。

 まず「下しる」の「しる」は「治る」であり天下を取る、という意味にはとらない。(一説には天皇が世を治める事を示したともいい、朝廷黒幕説にも採り上げられる事がある)また「時」は三国志の『出師の表』の「危急存亡(ききゅうそんぼう)の秋(とき)」を面影にした句作りである。「時は今・・・・」は『平家物語』踏まえていて、『平家物語』『太平記』が多く詠まれており源頼朝、新田義貞、足利尊氏らが横暴な平氏を討つ、事が時を隔てて繰り返されたということになる、と述べている。小和田氏は光秀が土岐氏の相当高い身分であったことを主張して、美濃源氏土岐氏の明智が平氏の信長を討つという構図を証明している。

 高柳光壽氏の解釈は一般的なものである。

 この句の読み方だが、どれが正しいなどとは一概には言えない。古典の授業を受けていてわかるのだが、連歌にはたくさんの読み方がある。だから好きな解釈ができ、これをもって光秀の謀叛の動機を論ずることはできないのである。この場合どう読んでも自由だと思う。ここの結論は保留にしておくから、読者の皆さんには好きなように読む事をオススメする。