3、フロイス『日本史』の記事は本当か?

 

 このフロイスの記事というのは、信長が光秀をぼこぼこにした記事のことを言う。各説を主張する学者の中には、この記事を重要視する人もいるのでここで吟味を加えたいと思う。この記事を否定されると根拠を失う人が二人もいるのである。以下の文がこの記事である。
 「これらの催し事の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが、元来逆上しやすく、自らの命令にたいして反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度明智を足蹴にしたということである。だがそれは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事であったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが、あるいはこのことから明智は何らかの根拠を作ろうと欲したかもしれぬし、あるいは(おそらくこの方がより確実だと思われるが)、その過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを彼に望ませるまでになったのかも知れない。」

 

『日本史』 事実性あり 事実性なし
主張者(主張) 桑田忠親(怨恨説)
桐野作人(四国問題説)
有力説ではいない

 

 桐野氏は、『日本史』についてイエズス会は織田権力内に深く入り込んでいる、としてその信頼性を主張している。

 従来この話を否定した学説というのは、多く見たことはない。しかし、あるにはあるのである。我々歴史研究会ではこの『日本史』の説は信頼できるものではないという結論に達した。理由は二つある。

 一つには、この本全体が嘘と偏見と異宗教への差別的言辞に満ち満ちているからである。例えば、「西国の諸大名は皆キリシタンになりたがり、そのために宣教師の数が足りなくなった」などと理解し難いことが書いてあったり、「明智は残酷な刑罰を好み、人を欺く方法に精通していると吹聴していた」などと、一般的な光秀像からかけ離れたことが書いてある。したがって、『日本史』は公平な立場に立って書かれた史料とは考えがたい(つまり、何らかの宣伝的な狙いを持って書かれた可能性がある)。
 二つ目には,前ページの太字部分を見ればわかるように、問題の記述が又聞きによって書かれているからである。「人々が語るところによれば」と、情報源も明らかにされておらず、単なる噂によって知ったものだと受け取れる。また、密室で二人だけの間で(お小姓くらいはいたかもしれないが)行われたことが、なぜ外部に漏れたのか、という疑問も生じてくる。
 というわけで、『日本史』のこの記述はあまり信用できない。