2、桑田忠親氏の怨恨説

 

 まず野望説の批判からであるが、(できればもう一度見て頂きたい)さまざまな史料に対して検証を行っていて、戦国時代の人間だからといって誰もが天下取りの野望を持っていたわけではない、信長や信玄ならいざしらず、明智光秀ごときが常に天下取りのチャンスをうかがっていたとは思えない、としているのも、多分に感覚的な説明ではあるがうなずける。同書の野望説批判にはある程度の評価を与えていいのではないか、と考えられる。
 次に、桑田氏が採っているフロイス『日本史』の記述だが、これは 簡単に言えば「信長と光秀が密室において話していたが、信長が怒って光秀を足蹴(あしげ)にした」というものである。(p.44参照)

 桑田氏のこの論は、「俗書に書いてあるエピソードの細部(槍を突きつけたとか)については、必ずしも事実とは認められないが、『日本史』にこういう記述があるのだから、信長が光秀を侮辱することがあった、ということは間違いない。だとすれば、これら俗書の記述も、細部はともかくとして、『信長が光秀を侮辱した』という大筋に関しては事実を言っているものである。」という意味であると思われる(少なくとも、好意的にそう解釈しておく)。それはまあ良い。しかし、ここで問題となるのは『日本史』がどれだけ信頼できるかである。もし、『日本史』が信頼できなければ、桑田氏の怨恨説は史料的根拠を失ってしまう。だが、私には『日本史』がそんなに信頼できる史料とは思えないのである。(「六、各説の整理」参照)

 次に、『明智軍記(あけちぐんき)』の国替えの記事だが、この命令が史実かどうかだが、いまさらわざわざ言うようなことでもないが、とうてい事実とは認められない。だいたいこんなムチャクチャな命令が出されるわけがない。史料面から見ても、根拠は『明智軍記』であり、信長の三男・織田信孝(のぶたか)が丹波の国侍に出した命令書というものも付与されているが、それにしたって根拠薄弱である。

 ところで、桑田氏は国替えを事実だとしているのだから、それをもって本能寺の変の原因としているのか、と思うとそうでもない。逆に、突然訳のわからないことを言い出して、先行き不安説を葬り去っている。「これでは、本能寺の変が、課長の社長刺殺事件か、政治テロの大臣暗殺事件に堕してしまう。光秀は現代の優秀サラリーマンでもなく、テロリストでもない。根性のすわった、戦国乱世を生き抜いた日本の古武士の一人である。自己の将来に不安と絶望を覚えただけで、大恩ある主君信長を謀殺するはずがない。」言っていることの意味がまったくわからない。

 武道の面目をたてるため、という説について。  『日本史』の記述に見られるように、肉体的に、あるいは長宗我部(ちょうそかべ)の一件や荒木村重一族の助命嘆願を無視された一件のように、精神的に侮辱を加えられ、面目をつぶされた光秀は、その屈辱をそそぎ、面目を立て直すために信長を殺した、という説である。  しかしこの説の説明は相変わらず情緒的で、よくわからない説明である。しかも、よく見ると、歴史学的な説明はなにもなされていない。この後も、「当時は家来が主君を殺すのはそう珍しいことではなかった」とか、「秀吉によって光秀は逆臣の代表者のように祭り上げられてしまった」とか、「それはいいけど、それが面目云々にどうしてつながるんだ」というような説明がなされているが、まぁ取り立てて書くようなことでもないので省略する。しかし、氏がこの証拠ゼロの意味のわからない説をもって、本能寺の変の真相としているのは驚愕(きょうがく)である。