5、鴻門の会

 

 秦の統一国家が崩れ、最初に秦の都・咸陽(かんよう)を陥としたのは劉邦(りゅうほう)であった。その後、秦の大軍を撃破した項羽(こうう)が大軍を率いてやってきた。二人とも、楚王から「先に関中(秦の都があった地域)に入った者を関中王とする」というふれを出されていて、一路咸陽を目指してきたのである。このとき劉邦は一旦関中に入り、そこにいた後宮の三千人の美女に目がくらんだらしく、ここに留まりたいと言ったのだが、配下の諫言を聞いてあっさり引き上げた。項羽軍も関中入りし、鴻門に駐屯した。
 項羽の軍師・范増(はんぞう)は、劉邦が咸陽に留まらず、後宮の美女に手をつけなかったことを聞いて、劉邦に大志ありと見抜き、早く攻め滅ぼすよう進言した。これを項羽の叔父の項伯が聞いていて、内容を劉邦の軍師・張良に知らせた。項伯は昔、張良に命を助けられたことがあり、このとき張良の?(きょう)に報いようとしたのである。この知らせを聞いた劉邦は、自軍の四倍もある項羽軍にはとても勝てない思い、やむをえず釈明のために鴻門に向かった。またこのとき、項伯(こうはく)も「滅秦の大功のある劉邦を撃つのは義にもとる」と言って項羽をいましめていた。一方、范増は劉邦を殺すために陣営に剣士を伏せておいた。
 劉邦は項羽の陣営に入ると、這いつくばって哀訴した。彼は自分のやったこと全ては項王のためにやったことです、と言った。項羽は劉邦を見て、こんなに哀れな者を殺すことはできない、と思い、酒宴を開いて劉邦をもてなした。范増は、なぜ項羽は劉邦をもてなすのか、と舌打ちし、第二段の策として伏兵を一斉に立たせる命令を項羽に下させるべく、何度も項羽に合図を送ったが、項羽はそれらを黙殺した。
 范増(はんぞう)はついに席を立ち、項羽の護衛隊長である項荘(こうそう)を呼んだ。范増の指令を受けた彼は、座の余興として、一同に剣舞を披露し始めた。彼は優雅に舞いながらも、その剣の切っ先は終始劉邦に向けられていた。劉邦は顔面蒼白である。

 と、そのとき、項伯が立ち上がり、「舞い手が一人では、面白くないではないか」と言って項荘と劉邦の間で剣舞を始めた。項荘は彼の叔父である項伯を刺すことはできない。しかし項伯がかばいきれるのもそう長くはない。

 張良は急いで営舎を中座し、門外にいた劉邦の配下の樊?(はんかい)を呼んだ。樊?は大力の男で、劉邦に惚れ込んで随従している忠臣である。張良(ちょうりょう)が彼に、「卿の死ぬときが来た」と耳打ちするや否や、彼の巨大な肉体が門内に突入した。そして彼は営舎の中に入り、項羽の前に立ちはだかって項羽をくわっとにらめつけた。

項羽は尋ねる。 「その方はどのような者だ?」

「沛公(はいこう)(劉邦)の近侍の樊?(はんかい)という者にございます。」張良が慌てて答えた。

項羽は興奮して、「壮士だ。これこそ壮士だ。」と叫んだ。

壮士とは、わずかな義とのために即座に自分の命を断つ若者のことを言い、項羽の最も好きな人間の典型であった。

「この壮士に酒をとらせよ。」項羽は命じた。

樊?は酒を一息に飲み干し、さらに差し出された豚の肩の肉を食らった。

項羽は尋ねた。「壮士よ、まだ飲めるか?」

樊?は一気にまくしたてた。「臣は既に死すら恐れてはおり申さぬ。なんで一杯の酒如きを遠慮いたしましょうか。」

 樊?はここで劉邦の功績を述べ、功労ある者を処罰するのは亡秦の後継者のやることではありませんか、と言い立てた。このすきに劉邦は厠に立ったふりをして遁走してしまった。後は張良がうまく取り繕った。憤懣やるかたないのは范増である。項羽のことを「孺子(じゅし)」(小僧)と罵り、劉邦から贈られたさかずきを叩き割った。